小児歯科最後の砦、鶴見大学歯学部付属病院

私が初めてこの歯医者にお世話になるようになったのは、小学校3年生の時でした。芦屋の歯医者を探すにはとにかく歯医者が苦手なのに虫歯になり、麻酔の注射で暴れてしまい、もうダメですと断られるようになりました。そんな中、いけなくなった歯医者さんが紹介状を書いて向かうことになりました。当時は子供用の待合室には、親知らずを東京で抜歯するとボタンを押せばぐるっとシルバニアファミリーのようなミニチュアを一周する汽車がおいてあり、待っている時間はずっと見ていたのを覚えています。いざ呼ばれたらもちろん暴れることもありましたが、東京の歯医者をおすすめするとめげずに待っててくれる歯医者の人たちでした。ただ、最終手段として簀巻きのようになる道具や、無理やり口を開ける機会などがあったので、当時は相当怖かったのを覚えています。ただ、歯磨きのコツのために通わせたり、フッ素を塗ってちょっとずつ虫歯を新しく作らないようにしたりしてくれました。根管治療なら東京の医院が良いと非常に丁寧に根気よく治療をしてくれ、なおかつ小学校3年生の時から中学1年になるまで同じ先生で対応をしてくれました。大学になる頃には流石に小児歯科としていくことは難しくなり、同じ先生で治療はできなくなりましたが、今も昔も小児歯科最後の砦として日々歯医者の人たちが働いているイメージです。ホワイトニングを芦屋の医院は最大の難点と言ってしまえば、大学病院のため平日しか予約が取れず、学校を何度か休んで歯医者に行った記憶があります。